こんにちは。今年2020年はベートーヴェンの生誕250周年の記念イヤーです。ところがせっかくの記念イヤーも、コロナウィルスの影響もあり中止になってしまったイベントもあったことでしょう。そんな記念イヤーも残すところ1か月を切りました。
この記事では、2分で分かる『ベートーヴェン』と題して、その人生をあくまでざっくりとご紹介したいと思います。
どんなイメージ?

「ベートーヴェン」と聞くとどんなイメージですか?
- しかめっ面で気難しそう
- 髪の毛ボサボサ
- いつも怒っていて怖そう
- 耳が聴こえなくなっちゃった
音楽室のポートレイトや、本などで紹介されている写真の印象だとやっぱり上のような印象になってしまうのは仕方ないですよね。でもね、ベートーヴェンがしかめっ面をしているのにも髪の毛がボサボサなのも、この記事を最後まで読めばきっと納得してもらえるのではないでしょうか。
ベートーヴェンの家庭環境

本名は『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン』と言います。1770年ドイツのボンという都市で生まれました。
宮廷歌手だったお父さん:ヨハンは、少年ベートーヴェンを『モーツァルト』のようにしようと考えていました。
3歳から超スパルタの英才教育が始まります。まずはお父さんの得意分野「歌」から猛特訓です。
成長して作曲を始めた少年ベートーヴェンにお父さん:ヨハンは暴力で練習を強要しました。ベートーヴェンが曲を上手く弾けるまで部屋から出さないし、さらに食事も抜きといった 今なら確実に虐待だと言われてしまう環境で教育していたんです😭
そんな環境でも健気にお父さんの言いつけをまもり、実力を付けていきました。でもベートーヴェンにはさらなる苦労が待っているのです。
お父さん:ヨハンがアルコール中毒で仕事を続けられなくなってからはベートーヴェンが飲んだくれの父・母・兄・弟・妹の生活を支えなくてはいけなくなってしまうのです!
ベートーヴェン、その頃まだ10代です。どうなってしまうのでしょう。頑張れベートーヴェン!
ベートーヴェンの活躍

16歳になるとウィーンへ赴き、活動の拠点を広げていきます。ウィーンはオーストリアの首都で、音楽の都言われています。
ベートーヴェンが音楽家として活躍を始めた頃、ウィーンでは音楽家が宮廷のお抱えから解放されて一般市民が音楽を楽しめるようになってきました。
ベートーヴェンは人気の演奏家(昔は自分で作曲した曲を自分で演奏していました)となって、女性にモテモテだったそうですよ。
ベートーヴェンとピアノ

ちょうどベートーヴェンが活躍を始めた頃、急激にピアノも発展をしていきます。
大人気ベートーヴェンの所には、ヨーロッパ各国のピアノメーカーさんから「うちの新しいピアノを弾いてください」と、続々とラブコールが届きます。
ピアノの進化
ベートーヴェンの元には新しい楽器がどんどん提供されました。
| メーカー | 鍵盤数 | 開発年 | そのピアノで作曲した代表曲 |
| ワルター | 61 | 1798年 | 悲愴ソナタ、月光ソナタ |
| エラール | 68 | 1804年 | ワルトシュタイン |
| ブロードウッド | 73 | 1818年 | ハンマークラヴィア |
音域が広がるごとに目いっぱい音を使って曲を作ったんですって。やっぱり天才。ベートーヴェンからピアノメーカーの方にこんなピアノを作って欲しい、とリクエストをしていってピアノも進化していきました。
ベートーヴェンのお墓はその時から親しく親交のあったブロードウッドのピアノ職人と隣りにあるんです。よっぽどお互いに信頼しあっていたのでしょうね。
ベートーヴェンの苦悩

音楽は大人気・スパルタの父から解放・女性にもモテモテ といい事尽くしに聞こえますが・・・
28歳になったベートーヴェン、耳が聞こえづらくなってきます。30歳ではほとんど聞こえなくなってしまいました。音楽家にとっては致命的。自殺も考えて遺書も書きました。
でも、難聴を受け入れて作曲家として次々に名曲を発表します。ジャジャジャジャーンの「運命」もこの頃です。
なんて過酷な運命なんでしょう。現代なら適切な治療ができたのかもしれないと思うと切ないです。
さらに、ベートーヴェンの苦しみはそれだけではなかったのです。
やっぱり遺伝なのでしょうか・・・

ベートーヴェンのお父さんがアルコール中毒だったように、ベートーヴェンもお酒が大好きでした。自宅に届けるように一度に100本単位のワインを注文していた記録が残っています。オーストリアのワイン確かにおいしそうだけどこりゃ飲みすぎ( ^ω^)・・・
こうしてアルコール過剰摂取による神経疾患、肝臓、すい臓、リウマチ、目の不調、痛風、と身体中がむしばまれていたんですって。
さらに、原因不明の腹痛、下痢に慢性的に悩まされていたそうです。こんな不調なのにワインは常に飲んでいました。
こんな体調不良の彼が続けていたのが温泉療法です。ウィーンから少し離れたバーデンの地に湯治に20年間通ったんですって。それでなんとか生き延びていた感じでした。
アルコールを辞めるのが先でしょ、と思いますがね笑笑
ベートーヴェンの最期

その死因は肝硬変でした。
晩年は肺炎、黄だんの症状も。寝たきりの中でも彼は曲を書いていました。医者たちも次々と押しかけて手を尽くしましたが症状は回復せず。ベートーヴェン56歳にして生涯の幕を閉じました。
ウィーンの市民に広く愛されていたベートーヴェンの葬式には2万人の人が参列したと言われています。更には、没後もベートーヴェンの墓にはファンや観光客が途切れることなく参拝に訪れているのです。
まとめ

どうでしたか?スパルタで教育された彼でしたが、その音楽で名曲を数々残してこうして全世界中の人々に今でも絶大なる人気を博しているのです。
難聴という過酷な運命を背負いながら、人生を切り開いていったベートーヴェン。今回触れていないドラマになりそうなエピソードもまだまだあるんですよ。
- しかめっ面で気難しそう ➡ 体調がいつも悪かったため
- 髪の毛ボサボサ ➡ 貴族のお抱え音楽家ではなかったので地毛だから
- いつも怒っていて怖そう ➡ 体調のせいもあっていつもイライラしていたから
案外こんな理由かもしれません。難聴でつらい思いをしているのですから思いっきりいつもニコニコ笑顔とはいかないですよね。
ベートーヴェンの弟子だったツェルニーはロマン派の作曲家リストの先生でした。古典期のベートーヴェンからロマン期のリストへと音楽がリレーしていくのも素敵に感じてしまうのは私だけでしょうか。
こんな過酷な人生を駆け足で駆け抜けた「ベートーヴェン」ですが、残した名曲はこの先もずっとずっと愛されていくことでしょうね。


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