【雑学】知ろう!ピアノの誕生!誰がいつ日本に持ってきたのか?

スポンサーリンク
おもちゃのグランドピアノ ピアノ 

こんにちは。今日も楽しくピアノを弾いていますか?ところで、このピアノという楽器は、いったいどこの国で生まれたんでしょうか。

4歳からピアノを始めて音楽大学で学び、その後自宅や某大手教室でも講師として今も現役。ピアノ講師歴20年以上のベテランが、今回は「ピアノの誕生」と「ピアノ日本上陸」について書いています。

  • ピアノはどこの国で作られたのか
  • 日本にいつ、だれが持ってきたのか

ちょっとしたうんちく話に使ってもらえたらうれしいです。

ピアノの原型誕生

ピアノの前進は「チェンバロ」と呼ばれる楽器です。チェンバロは弦を棒のようなもので押し上げて音を出す仕組みで、音が小さく強弱をつけて演奏することが難しい(ほとんどできない)楽器でした。

そのため、チェンバロは装飾音符を効果的に使って演奏する特徴があります。

ところが、「もっと強弱をつけて表現を豊かにしたい!」と考えたイタリア人がいました。バルトロメオ・クリストフォリ(1655~1731)はイタリア・メディチ家に仕える楽器制作家でした。

そして1709年、「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」が誕生しました。これが現在のピアノの原形となった楽器です。

「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」は日本語にすると、「鍵盤楽器・弱い音と・強い音を持つ」という意味です。

現在「ピアノ」と呼ばれているのはここからきています。現在のピアノと区別するためにクリストフォリの作ったピアノは*ピアノフォルテと呼ばれることもあります。

その頃の日本

1709年イタリアで、ピアノの原型「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」が誕生したその頃、日本は江戸時代 徳川家宣が第6代将軍となりました。

江戸時代ということは、鎖国真っただ中です。

江戸では歌舞伎が町民に広がっていました。鎖国中なので、日本特有の文化がどんどん発展していたんですね。浄瑠璃もこの後人気になっていきます。

「ピアノ」海を渡って日本へ

遠いイタリアから、日本にピアノが渡ってきたのは「いつ」「どうして」だったのでしょうか。

日本にピアノが来たのはいつ?

1823年 オランダ商館の医師、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって日本に持ち込まれたのが最初のピアノだと言われています。

あ、なんか聞いたことある!と思った人が多いはず。歴史の教科書にも名前が載っていましたよね。シーボルトは日本に蘭学を広めました。

シーボルトが持ってきたピアノは1806年頃のロンドンで製造された、スクエア型のピアノでした。スクエア型というのは四角いテーブルのような形をした小型のピアノです。

引用:wikipedia
「シーボルトが持ってきたピアノ」

ところで、この頃まだ日本は鎖国真っ最中。でも、オランダとだけは国交があったんですよね。シーボルトはドイツ人ですが、長崎県・出島のオランダ商館にオランダ人と偽ってやってきました。

その時、このスクエア型のピアノを一緒に持ってきたのです。もちろん「船旅」です。海の上を何か月間も旅して遠く日本までやってきたんですね。

シーボルトさん、ピアノ、お疲れ様でした。ようこそ日本へ!拍手喝采ものです。ロマンを感じるー💛

このピアノは山口県萩市熊谷美術館(くまや)に現存しています。

わー、♪素敵なピアノだね。実際に見てみたいな。

なぜピアノを持ってきたのか

ところで、医師のシーボルトはなぜ日本に来る時に一緒にピアノも持ってきたのでしょうか?

シーボルトは医師であると同時に、学術の研究者だったんです日本を研究することも目的の一つにあったのですね。

そして、シーボルトの名前に付いている「フォン」これは貴族に与えられる称号です。貴族のたしなみとして、シーボルトはピアノが弾けたんです

研究者のシーボルトは日本の音楽も研究対象にしていて、日本国内の音楽を母国に持ち帰るために楽譜を書く必要がありました。

音楽を国外へ持ち出すには、楽譜に書き起こすしか方法がなかったからなんです。現代のように録音、録画もできませんもんね。

シーボルトは日本の地理や植物、気候や天文などを調査してオランダへも持ち帰りました。持ち帰った荷物の中には日本の「かっぽれ」を書いたと言われる楽譜があったそうです。

日本には椅子に座って楽器を演奏する文化はなかったから、シーボルトが持ってきた大きな楽器に江戸時代の人たちは驚いたことでしょう。

ピアノが広まった背景

シーボルトが初めて日本にピアノを持ってきたのが1823年。その後日本国内でどのようにピアノは広がっていったのでしょうか?

ピアノと一緒に来た「バイエル教則本」

「鎖国」が終わり、1868年明治時代に入ってくると、一気に外国からいろんなものが入ってくるようになったんですね。

日本から外国へも多くの日本人が視察に出かけて、外国の文化や芸術を日本に持ち帰りました。

明治政府は音楽教育のために1880年に教員になる人材を募集して、22人が採用されました。その22人を育成するためにアメリカからやってきた教育者ルーサー・ホワイティング・メーソン(1818~1896)と一緒にピアノも持ち込まれたんです。

引用:wikipedia「ルーサー・ホワイティング・メーソン」

その時ピアノを習得するために一緒に持ち込まれた指導書が、かの有名な「バイエル教則本だったんですよ!

バイエルでピアノを習得した最初の22人が、バイエルを使ってまた他の人へと全国に広まっていったんですね。

今や教則本のバイエルだけが有名で元祖先生:メーソンさんの存在がこんなに影が薄くなってしまったとは・・・・メーソン先生に申し訳ないので、これを読んだ方は、この事実を10人に伝えましょう笑笑

まとめ

いかがでしたか?今私たちが楽しんで弾いているピアノ、こんな歴史があったんです。年表にしてみました。

日本が長い鎖国中にヨーロッパ各地ではすでに何社もピアノメーカーが設立されていたんですよ。そしてそのピアノを使って、今に名が残る偉大な作曲家たちが曲を作っていたんですね!

ヨーロッパ日本
1709年イタリアクリストフォリが「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」誕生江戸時代:鎖国中 
1727年イギリスベートーベンが後期ソナタを作曲した楽器「ブロードウッド」創業日本固有の文化「歌舞伎」「浄瑠璃」が発展
1807年フランスショパンが愛用したピアノ「プレイエル」創業
1823年出島シーボルトが日本にピアノを持ってきた
1854年下田・函館アメリカ艦隊・ペリー来航して鎖国終了
1880年東京メーソンがピアノとバイエル教則本を使って日本で教育した

日本国内のピアノメーカー「ヤマハ」と「カワイ」はメーソンが日本国内でピアノ教育を始めて、広がり始めた頃に楽器製作を始めました。

スタートはヨーロッパにずいぶん遅れを取ってしまいましたが、技術力抜群の日本のピアノは今や世界に誇れるピアノになっています。

次回の記事では、国産ピアノメーカー「ヤマハ」と「カワイ」の誕生について紹介します。

今度ピアノに触る時、ピアノの誕生と遠くヨーロッパからはるばる日本にやってきた歴史を思い出していただけたら嬉しく思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました